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散歩スナップ|泉岳寺~品川をぐるっと

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品川~田町近辺は私の会社員人生で一番長く通っている場所です。
その長い間で一番の変化といったらやはり高輪ゲートウェイができたことでした。
それに伴う再開発が進行中ですが、「提灯殺し」で有名な泉岳寺ガード下も、あの姿を見られるのは残り少ない期間のため写真に収めておこうと思い、泉岳寺~品川をぐるっと一周してきました。

今日はXF23mm F1.4の一本で撮影です。
フィルムシミュレーションはクラシッククロームで統一。

目次

泉岳寺ガード下

芝浦中央公園からスタートしますが、公園の写真はすっとばしていきなり手前の道路から始まります。
今まではこの道をまっすぐ行くと突き当りを右に曲がるような道順になっていましたが、再開発のためすでに車は通れません。
歩行者は手前で右に曲がり、ガード下への道に誘導されます。

本日も晴天なり

このクラシッククロームの青空良いですね。

いざガード下へ。

私の身長は178cmですが、これ、頭が天井に当たってます。
そして、以前は鉄柵で仕切られている右側を歩行者、左側が車道となっていましたが、車両通行止めになったため、歩行者天国?になったようです。

剥げ落ちているところに年季を感じます。

以下3つの写真は年季ものですね。
きっと、これは今しか見られないもの。

泉岳寺川から見たガード下です。
数年以内に変わった景色になることでしょう。

泉岳寺

泉岳寺は単に京急の駅名ではなく、そういう名前のお寺があることを知ったのはつい数年前です。お恥ずかしい……。
忠臣蔵で有名な赤穂浪士が葬られているお寺です。
私も知識不足でしたが、赤穂浪士は実在した人物たち、赤穂事件は史実、忠臣蔵はそれを基にした物語です。(間違っていたらご指摘ください)

山門
有名な大石内蔵助(おおいしくらのすけ)さん
山門の裏手

立派な松と、一部紅葉した色合いはぜひ現地で見てほしい。

本堂

元々は外桜田にあったが、寛永18年(1641年)の寛永の大火によって焼失、その後、高輪の地に移転してきたとのことで、約380年近くの建物でしょうか。

水琴窟です。
柄杓で水を流すと何とも言えない音色を響かせます。

赤穂浪士も戦前までは「赤穂義士」が一般的な名称だったそうな。

かつては赤穂の牢人(浪人)といわれることが多かったが、明治の中期から赤穂義士(あこうぎし)と呼ばれ、忠孝の教えの観点から戦前は全国的にも赤穂義士の名称が一般的だった。明治以降壬生浪士の影響から浪人を浪士と称することもある。戦後、大佛次郎の小説がテレビドラマ化されてからは、赤穂浪士の方が周知されている。

wikipediaより

この奥が墓地になっています。
安らかに眠る場所をさらすのは好ましいと思わないため、写真は割愛します。

泉岳寺駅~高輪ゲートウェイ駅

泉岳寺を後にして、泉岳寺駅に戻ってきました。
この駅も年季が入ってますね。
1968年(昭和43年)開業とのことで、52年が経過してます。
この入口も52年物なのでしょうか。
これも高輪ゲートウェイの発展に伴い、遠くない将来には見られなくなってしまうことでしょう。

品川駅周辺

東京はなにげにイチョウの木が多いですよね。
連日の強風によりだいぶ散ってしまいましたが、今が最後の見ごろのようです。

高輪口は意外と変わらないですね。
しかし、ウィング高輪EASTは再開発により閉店したため、これから高輪口もいろいろ変わってきそうです。

品川駅を高輪口から港南口へ通り抜けます。

港南口を出て品川シーズンテラスへ。
ここも以前は水道局の敷地だったはずなのに、こんなものができてしまって時代は変わったものです。

品川シーズンテラスを2階に上がって抜けると、芝浦中央公園に戻って終了です。

ここ、東京タワーが見えるんですね。
今度夜景を撮りに来てみようかしら。

公園には開園時間があるため、時間には注意。

1月から4月、10月~12月:午前7時から午後5時
5月から9月:午前6時から午後7時

公園サイトより

フィルムシミュレーションをACROSにしたモノクロも作りました。
記録ならカラーの方が良いと思いますが、モノクロも捨てがたい。ぜひご覧いただければと。

撮影機材

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